2016年3月。
『あの日があったから今がある…創部10周年、長めの独り言。』
3月5日、創部10周年記念総会。振り返れば、勝利も敗北も…成長も挫折も…全てが本当に良い思い出。
まだ男子サッカーの指導をしていた頃、校長から何度か女子の指導を依頼され、同じ回数のお断りを入れていた。口では丁寧に対応しつつも心の中では『女子のサッカーなんて…』と思っていた。ただ、2005年の秋頃に相談を受けた時は幾つかの理由が重なってその話を前向きに受け止めた。同年12月、それまで何となく集まっていた同好会メンバーに呼びかけた。「これからは先生が顧問になる。雨が降っても風が吹いてもお休みにしない。寒かろうが暑かろうが毎日トレーニングがある。それでもいいという人は明日、もう一度集まって欲しい」。翌日集まったのは2年生5人、1年生5人。半数以上の生徒が、参加しない意思表示をした。少し残念ではあったがそんな中でも勇気を出して来てくれた2年生を1期生(壬生世代)、1年生を2期生(麻衣子世代)とし『サッカーを学ぶ。サッカーで学ぶ。』ことを大切にしようと決意した。これが安城学園高校女子サッカー部の始まりだった。
みんなの様子を見たくて、すぐに実施した練習試合は今も忘れない市邨高校。少し狭いグランドでトーキックのオンパレード。スローインのやり方はわからず、バスケよろしくチェストパスする不思議な世界。運悪く顔にボールが直撃、誰に断りを入れることもなく勝手に顔を洗いに行った部員もいた。ちなみにそれがアンガクの初代キャプテンである。
初めての合宿は長野県阿南町。本校1年生がフレッシュマンキャンプで訪れる施設。ドライバーさんも発注し(当時私にマイクロバス免許は無し)、遠足のような道中だった。借りた中学校グランドの隅にあった、錆びたサッカーゴールをみんなで運んだが、ネットが揺れることはほとんど無く「…ゴール、無駄じゃね?」と自虐的に笑い合った。それでもナイター設備もお借りして、朝昼晩の3部練習に取り組んだ。
公式戦初勝利は創部2年目の2007年7月、高校選手権。ここまで2戦2敗。予選リーグ敗退が決まっていた。その第3戦、終了間際でも足を止めずに走り込んで相手GKの鼻先で詰め切った。1-0。試合後の爽快感は最高だった。
2008年度。3年目に入る頃、静岡・富士川河川敷を目指し初めての県外遠征を実施した。創部後に入学した3期生(美穂世代)が最高学年になった年だ。吉原(静岡)、村田女子(東京)、健康福祉大学高崎(群馬)、本庄第一(埼玉)、成立(東京)、清水南(静岡)といった名だたる高校の胸をお借りし、文字通りの連戦連敗。プレーだけでなく荷物の置き方や挨拶の仕方まで学ぶとは正直思ってもいなかった。
同じ年の夏には今は無きワイズメンズカップ(静岡)へ。グループリーグは5戦全敗。あの常盤木(宮城)には思い出の7失点。しかしリーグ最下位チームが集まるトーナメントでなんと決勝進出。江戸川女子(東京)にスコアレスドローから惜しくもPK負けを喫したが県外で勝つ喜びを体験できたことは当時大きな出来事だった。
2009年度、当時はまだ高校選手権が夏開催だった。負けて4期生(綾子世代)の3年生が抜けると部員数が再び激減。翌年春まで5期生(鈴花世代)4人と6期生(冬華世代)3人の計7人になった。あの頃は…本当によく諦めなかったと思う。よくも飽きずに毎日同じことばかり…。もしあの時に人数が少ないことを理由にして部を休眠状態にしていたら…間違いなく今は無い。困難にも直面したが全員の力を合わせることはピッチの内外で非常に多かった。新人戦では盟友南山と合同チームを結成し、県3位の大健闘。合同チームだから…ということで次年度のシード権を放棄したことは、私の中では実は少し誇らしい出来事である。
2010年度は5期生4人6期生3人に加え7期生(世梨世代)として過去最多タイの9人が入部し、しかもサッカー経験者が複数いた。ただ、勝利出来る可能性が高くなると同時に新たな難しさにも相対することになる。部員個々の持ち味とチーム全体の規律について、どうバランスをとるかという私自身の学びが始まった年でもあったような気がする。人数が11個のポジション数より増え、後輩が先輩を凌駕することも増えてきた。ただ、やはりここでも取り組む姿勢を基にして下級生が上級生に一目置き、互いに認め合う関係づくりに繋がった。
7期生が2年生になった2011年度。部員には多くの苦労をかけたが現在のチームレベルのきっかけとなった1年間だったと今にして思う。2回目の出場となった清水レディースカップで3位に入り、翌年以降に弾みをつけた。試験的に始まった県高校リーグでは2部で2位。次年度からのステージが1部に決まった。初参戦となった県選手権ではセレージャに先制され追いつく展開。3ー3から運良くPKで勝利したが、その時の相手主力が今のアンガクのトップスコアラーである。
高体連トーナメントでなかなか結果が出せなかった中、2012年度から始めた関東チャレンジ遠征。神奈川、東京、茨城などを転戦し、高校や大学と非日常の対戦カードを組ませていただいた。現在は徐々に活動の枠が拡がり、関東だけでなく北陸、近畿エリアなどにも足を運ぶ回数が
増えている。それらのきっかけは全てここから始まった。そしてその環境で7期生と共に成長を遂げたのが8期生(加奈世代)だった。
県内での勝率が飛躍的に伸びたのは2013年度。ボールを大切にするサッカーを目指し、明確な戦術とチームカラーを表現することに成功し始めたのもこの年がスタートかと思う。しかし同時にベスト8の壁を感じることになる。ただ、救われたのは部員の根気よさとサッカーに向き合う誠実な姿勢だ。他校部員と認め合う関係になっていることを強く感じ始めた時期と重なり合うのも偶然ではないように思う。
正直言って2014年度の後半は苦しくなると予想していた。同年前半、存在感の大きかった9期生(ふたかな世代)はチームをベスト4の常連にまで成長させた。〝カピタへの挑戦〟や〝東海を目指す取り組み〟はそれなりの成果を上げ、ひとつのカタチを示したと思う。しかしその9期生を送り出した後、チームは初めて県決勝の舞台に立つことになった。個の質をチームの総合力が上回った瞬間と言ったら大袈裟だろうか。無論、相手のあることだし対戦カードの妙もある。単純な世代間比較に全く意味は無い。ただ…今まで見たことの無い景色を体感出来たのは10期生(幸生世代)と11期生(遥世代)が〝飽くなき挑戦をし続ける先輩の姿〟を間近で見続けたからこそ、かも知れない。
10期生は東海大会こそ逃したものの、もはや県でファイナリスト(=決勝進出チーム)になるのは至上命題というほどの結果を出し続けた。それを受け継ごうとする後輩の感じるプレッシャーは…並大抵のものではない。11期生を中心に挑んだ新人戦は、1年生である12期生の力を存分に借りながら〝チームカラーの継続より、明確なストロングポイントを優先する〟という方向転換を決断し、見事決勝までコマを進めた。
練習を昼で終え、そそくさと校舎に移動し記念総会の準備開始まであと30分。部員の集まりを確認するため食堂に出向くと、机を間借りして黙々と勉強に勤しむ部員の姿…。これから集まるOGの時代にはこういうの、無かったなぁ…と独り笑いを堪える。
総会が実施できる運びになったのは何よりOG代表を買って出てくれた4期生小夏のおかげだ。顔を合わせたことも無いOG世代ともLINEで繋がっている、らしい。さすがだ。合い間の勉強を終えて、いざ準備開始。食堂の重たい机や椅子を動かし、掲示物ボードをセットし、30分足らず!あっという間に会場完成。手前味噌だが大したチームワークである。ここ数年で一気に増えた賞状やトロフィー、そして部旗を飾る。受付も名札をスタンバイ。司会をする11期生2年生は台本の読みあわせに必死な様子。
忙しい中わざわざ学校長にも参加して頂いたせいか、オープニングこそ少し緊張気味。しかしさすがはツワモノ(キワモノ?)揃いのOG集団。時間の経過とともに和やかな雰囲気に。子連れがいることに驚き、喜び、そして目を細める。あまりの可愛さに声が1オクターブ高くなるのはよくある光景。歓談のあと、各世代ごとにスピーチ。全く依頼していなかったのにどの代もなかなか良いお話が出来たのは、高校時代に鍛えられたおかげか?。中にはわざわざ原稿を準備してきた用意周到な卒業生もいて感心感心。出てくる話は不思議に思うほど良い思い出ばかり。なかには当時は顧問が熊に見えていたというカミングアウトもあったが…。いずれにしても聞いたそばからその光景が思い出される時間であった。最後はOG1期生から9期生まで、本当にたくさんの人が出演する10周年記念映像をプレゼントしてもらった。当日諸事情で来れなかった人の顔も多数あり、懐かしさが再びこみ上げる、とにかく最高の贈り物だった。少し間をおいて開催された2次会も大盛り上がりだったことは言わずもがなである。
実は創部当初から『10年経ったら創部以来のメンバーを集めて記念の会をやりたい』というささやかな目標をもっていた。自分で言うのも何だが10年間、よくぞやれたと思う。1期生から10期生まで総勢58名が良く頑張ってくれたとしか言いようがない。その保護者やご家族にも大いに支えられた。もちろん職場や部員のクラスメートにも…。現役部員は総会の一部始終をどんなふうに感じてくれただろうか…。私と同じく〝部OGへの感謝〟を感じてくれていれば、それもまた次に繋がる。
そして翌6日には早速ルネスに出向いて日帰り遠征。2、3年生がトレーニングで意図していることを表現し、参加した新1年生の奮闘には明るい未来を感じた。さらにOG総会には出られなかった9期生のふたかな、きゃらの元気な姿も。「アンガクのサッカー、また良くなりましたね!一緒にプレーしたくなりました!」。相変わらず気の利いたことを言ってくれる。さすが私の弟子である(笑)。試合映像を見るにはちょうどいい控えめな渋滞を抜け、充実の週末はこれにて終了。